こんにちは。2016年8~9月にアサヤでインターンをしていた櫻本です。
気仙沼にインターンをしに行くと話すと、
「復興ボランティアに行くの?」と必ず聞かれましたが、
実はそうではありません。
僕が気仙沼に興味を持ったのは、大学2年生のときに聞いた、
気仙沼ニッティングの御手洗さんの講演がきっかけでした。
気仙沼という街の魅力。社員さん・お客さん・街のみんなが幸せになる仕組みづくり。
強いワクワク感を持った僕は、地方企業を支えるコンサルタントになることを考えたのですが、
そんな地方で長く続く企業の現場を見て、自分の将来に役立てたい、と考えたのです。
インターンに来た直後、僕はある地元の方のご自宅に泊めていただいていました。
その方は、外からボランティアに来る人達をよく家に泊めてあげていたそうです。
その後、別のシェアハウスに移ることになったのですが、
ある日の夜に台風が直撃したため、安全のため、再び泊めていただくことになりました。
そこで、お酒を酌み交わして語らううちに、僕は言葉に詰まる経験をします。
市民の方「ボランティアでこの街に来る奴らは、よく気遣いができて、熱心に俺の話を聞こうとしてくる。
でも、最近この街にインターンで来る若い奴らは、震災のことを知ろうとしない。
別にどんな目的でこの街を訪れようが構わないが、この街のために行動する奴らじゃなきゃ、
俺がこの家に無償でその人達を泊める理由がなくなってしまう。」
櫻本 「・・・」
少し考えて、僕も自分の素直な気持ちを伝えてみました。
櫻本 「正直、僕は被災地としての気仙沼よりも、もっと楽しい側面に目を向けたいと思っていました。」
市民の方「なるほどな。じゃあ、気仙沼を知ったのはどうしてだったの?」
櫻本 「気仙沼で働くある方が、僕の大学まで講演にいらっしゃったことがきっかけでした。」
市民の方「でも、それも震災があったからでしょう?」
櫻本 「確かに、その通りです。震災後に立ち上げた事業の話をしに僕の大学まで来てくださりました。」
櫻本 「正直、震災に関して、聞いて良いことなのかどうかも分かりませんでした。
インターン先の社員さんが震災当時の話を聞かせてくださることはあったのですが、
こちらから聞いてもいいのか、僕が掘り返すことで相手を傷付けてしまうのではないか、と不安で・・」
相手の方は黙って頷きながら聞いてくださっています。
櫻本 「地元の方からすれば、震災の時の出来事を聞かれることは嫌じゃないんですか?」
市民の方「難しいところでね。もちろん、聞く人や聞き方にもよるんだけど。
話すことで震災の出来事が風化しない側面もあるし、やっぱり知ってほしい気持ちも大きいよ。
深い付き合いをする中でお互いの背景を知ることは大切だからね。」
僕自身はメディアで放送される過度な「被災地」のイメージから目を背けていました。
悲しげなBGM、震災当時の衝撃的な映像、暗いトーンのインタビュー。
インターンに来たのも、メディアで見る被災地とは違う気仙沼を見たい、と思ったからです。
ただ、僕が気仙沼で見学させてもらっている様々な先進的活動も、
震災をきっかけに外の方がやってきて、支援が行われる中で生まれてきました。
もしかすると、震災がなければ、ここまで活発化することはなかったかもしれません。
僕の大好きな今の気仙沼は、震災という背景の中にある、ということです。
台風が過ぎ去った後、夜道を歩いて帰っていると、
車も人も全然いない中で、工事現場の方を見かけました。
足元にある小さな障害物を照らすためだけに、深夜一人で道を照らしているのです。
他の日にも、震災後の道路整備で夜遅くまで作業する方々をよく見かけました。
やはり、今の気仙沼の背景には震災がある、というのは紛れもない事実で、
今も陰で街を支えていらっしゃる方がいるのです。
外から来た人間にとって、震災とどう向き合っていいのかは難しいことですが、
目を背けることなく、その事実ときちんと向き合うことが大切なのだ、と感じた夜でした。
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