歴史


社名の由来

アサヤ 紹介記事(1971年12月2日 毎日新聞 宮城版)
アサヤ 紹介記事(1971年12月2日 毎日新聞 宮城版)

アサヤの商売は、漁民が釣糸を作るための麻を仕入れて売ることから始まりました。初代・廣野太兵衛は当初、「廣野屋」の屋号を使っていたそうですが、麻を扱っていることから「麻屋さん」と呼ばれるようになり、いつしか屋号も「麻屋商店」と変わっていきました。

針金の商い

新聞の画像に映っているのがアサヤの2代目社長・廣野太兵衛で、「針金」の語源を作った人物と言われています。当時の釣針は1本1本が鍛冶屋の手作りでした。そこへ、イギリスから輸入された鉄線があると聞き付け、「これは釣針を作る針金にいい」と東京へ馬車で買い付けに行きました。これが大変な好評を博し、何度も東京から買い付けたため、「針金」という言葉が定着したとのことです。

ロゴのこだわり

アサヤ株式会社のロゴマーク
アサヤ株式会社のロゴマーク

アサヤが現在使っているロゴマークは、1988年に「麻屋商店」から「アサヤ」に社名変更した際に、アサヤの5代目社長・廣野甚吉がデザインしました。アサヤの英字表記の「A」を中央に配置し、それを囲むように、主要製品であるロープをイメージした円形と、同じく主要製品である網をイメージした菱形を配置したとのことです。

沿革

1850年
初代・廣野太兵衛が廣野屋を創業。漁業者のために麻を仕入れて販売する事業を始める。麻を扱っていることから、麻屋と呼ばれるようになり、商号も廣野屋から麻屋へと変わっていった。
1875年2代目・廣野太兵衛が東京から鉄線の買付けを始める。釣針が簡単に作れると大いに評判となり、三陸沿岸に名前が広がった。これが針金という言葉の語源であるとも言われている。
1948年4代目・廣野善兵衛が(株)麻屋商店を設立。廣野善兵衛は後に気仙沼市長を4期・16年務めることになる。
1988年5代目・廣野甚吉により、(株)麻屋商店からアサヤ(株)へと社名変更。
1999年5代目・廣野甚吉が死去。6代目・廣野浩が代表取締役社長に就任。
2011年東日本大震災が発生。気仙沼本社・石巻支店・釜石支店・宮古支店の4拠点が被災・全壊し、仮設事務所にて営業を再開。
2013年気仙沼本社の新社屋が完成。
2014年釜石支店・宮古支店の新社屋が完成。
2017年石巻支店の新社屋が完成。
2018年第39回「2018日本BtoB広告賞」において、アサヤ(株)のパンフレット「江戸時代から続く漁具屋と漁師の物語。」が企業カタログの部・金賞を受賞。
2021年6代目・廣野浩が代表取締役会長に、7代目・廣野一誠が代表取締役社長に就任。