皆さま、こんにちは。アサヤの廣野一誠です。
本日で東日本大震災から丸5年が経ちました。
当時、私自身はまだ東京で仕事をしていて、気仙沼にはいませんでしたが、
家族の安否が分からないまま、10日近く不安な日々を過ごしたのを覚えています。
アサヤは漁業と共に歩んできた会社ですので、拠点の大半が海沿いにありました。
そのため、気仙沼・石巻・釜石・宮古の4つの営業拠点が全壊・流出し、
釜石支店で1名、塗装部で1名、計2名の社員さんが津波の犠牲となりました。
その後、様々なご支援のおかげで、アサヤは仕事を再開することができました。
運良く助かった社員さん達は、自分達の生活がどうなるかも分からない中、
三陸の漁業復活のため、必死でになって走り続けてきてくれました。
今、私がこうして仕事に臨むことができているのは、
ひとえに激しい混乱を乗り切ってきてくれた方々のおかげであり、
この5年間の努力を思うと、どれだけ感謝しても感謝しきれません。
復興はまだ道半ばですが、こうしてバトンを受け取っている私の役割は、
次の世代まできちんと引き継ぐべく、仕事に真剣に向き合うことだと思います。
三陸漁業の復活に向けて、より一層尽力していくことを誓うとともに、
東日本大震災で犠牲となった方のご冥福を心からお祈りいたします。
P.S.
写真はアサヤ本社の受付で、常務が撮影した写真が飾られています。
今年は3月11日からのヒカリのポスターを一緒に掲示しました。